経営情報 Robert Bosch GmbH のプレスリリース(日本語訳)

ボッシュの歴史に脈打つ革新精神

ヘルマン・ショル(Hermann Scholl)
ロバート・ボッシュ工業信託合資会社(RBIK)共同経営者、
ロバート・ボッシュGmbH監査役会会長
ロバート・ボッシュ創業125周年記念式典
2011年5月19日、シュトゥットガルト

本稿は、実際の講演内容と異なる場合があります。


ご来場の皆さま、

昔のことですが、1962年に私がシュトゥットガルト工科大学に在籍していた頃、卒業後はボッシュに就職するつもりだと博士論文の指導教官に打ち明けたところ、教官はこの上なく不愉快な表情をし、「私をからかっているのか!」とこう怒鳴りました。

当時のボッシュはなぜか、大学関係者の間で評判がよくありませんでした。ボッシュでは叩き上げの職長が大きな顔をしていたり、 設計技術者は毎日製図台に向かわされ、寸法線の矢印をいくつ描くかというノルマが課されるといった噂が流れていたのです。

無論、実態は違っていました。最初に配属された先端開発部門では6年間にわたり、未来志向の非常に興味あるプロジェクトに取り組むことができました。1950年代半ばに始まった半導体研究ががぜん熱を帯びてきた頃のことです。ボッシュにとっての第一歩は、1886年に電気技術を専門とする会社を設立したことであるわけですが、振り返ってみるに、それに次ぐ次の一歩、あるいは決定的な二歩目を記したのがあの当時でした。この60年ほどの間に、半導体エレクトロニクスとその機能的な可能性ゆえに世界は大きく変わりました。これほどの変革をもたらした技術は他にないと言っていいでしょう。そして、非常に早い段階から半導体/エレクトロニクス研究に取り組んできたことが、数多くの分野で技術的リーダーと目される今日のボッシュの成功のカギとなったのです。

エレクトロニクスの黎明期は、ボッシュにとってテイクオフの時期でもありました。社内は革新に挑むやる気で満ち、まるで酸素のように若手技術者を燃え上がらせていました。研究以外の分野でも、こうした精神が大輪を咲かせます。それは、会社の定款です。1960年代にボッシュが定めた定款は当時、非常に斬新な内容だったと言えるでしょう。

創業者の不羈独立の精神:人物素描

財団を筆頭株主に据え、工業信託合資会社に株主総会議決権を委ねるという内容のこの定款の成立は、創業者の精神抜きには語れません。ロバート・ボッシュは不羈独立の精神の持ち主でした。そのことは自分の工場の独立性にこだわったことにもよく現れています。それと同時に、創業者は技術にしてもビジネスにしても鼻のよく利く人でした。25年前、創業100周年記念式典の場でハンス・メルクレが創業者について「先見の明」に富んだ人物と評しましたが、まさにその通りです。そしてこれは企業家として何にも代えがたい重要な財産だと言えます。若かりし創業者は1886年の夏、シュトゥットガルト工科大学の親しい友人たちに「まもなく自分の会社を興し、主に電気製品を製造するつもりだ」と宣言していますが、先を読む確かな力がなければできることではありません。それに対する友人たちの返答は「勇気は認めるが、実際はどうだろう」といった具合で、揃って懐疑的だったそうです。ロバート・ボッシュは死の2週間前、このエピソードを回想し、次のようにコメントしました。「当時の一般常識に照らしていえば、私が披露した会社の構想は、山のものとも海のものとも分からないと解されても仕方ありませんでした。そもそも電気技術というものが体をなしていなかったからです。」 しかし、状況はすぐに変わりました。ところで、ロバート・ボッシュには革新的精神のほかに、いくつもの顔がありました。その例をいくつかかいつまんで紹介しましょう。

  • まずは、生産の面で感じる強い不安です。マグネトー式点火装置が世界的なヒット商品となってから、ロバート・ボッシュに取り憑いて離れなかったのがこれです。彼が何よりも恐れたのは、本人が言うところの「短命の花」でした。
  • 次は、成功に向けての粘り強さです。ポンプの開発で行き詰まり、投げ出そうとしたエンジニアにロバート・ボッシュはこう言いました。「自分の力を信じなくて、一体何を成し遂げられるというんだ?」と。
  • 3番目は、今もなおしばしば引き合いに出されるほど強烈なインパクトをもった処世訓です。その代表的例が『信頼を失うくらいなら、むしろお金を失った方がよい』というものです。商人の心構えに矛盾するように聞こえますが、実は、目先の利益のみにとらわれ、取引先との長期的な関係の構築をおざなりにすることへの警句なのです。
  • 時代の波に逆らうことも辞さなかった、政治的意思力の強さも忘れてはなりません。第一次世界大戦中は軍需で得た利益を公益のために献じ、2回の大戦の間はヨーロッパ連合の実現に力を注ぎました。これは当時のナショナリズムのうねりに逆らう行動であり、なかなかできることではありません。こうした姿勢はその後、ナチス政権に対するリベラルな抵抗への支援へと発展しましたが、残念ながら戦時経済体制に会社が組み込まれるのを阻止することはできませんでした。
  • そして5番目は、 ロバート・ボッシュのリベラリズムです。それは側近の人選にも現れています。自身の精神的独立性ゆえに、彼は経営幹部に独立心旺盛な人材ばかりを起用しました。マグネトー式高圧点火装置を開発し、会社に最初の成功をもたらしたシステム技術者のゴットロープ・ホーノルト、倫理を重んじる個人秘書で、第二次大戦中から戦後にかけて会社を率いることになったハンス・ヴァルツ、20世紀初頭に米国で事業を立ち上げ、それを大きく発展させた怖いもの知らずのグスタフ・クラインらです。

垂直指向の企業内での水平思考:余談

ここで一つ、皆さんに質問です。本来、冷徹な計算のうえに成り立つ企業において、計算の成り立たない創造的な活動を維持するにはどうすれば良いと思いますか? その答えは、ややもすると揉めごとの原因となりかねない水平思考の持ち主を排除しないことです。とはいえ、言うは易く、行うは難し、です。ロバート・ボッシュは目の届くところで働く従業員を選ぶにあたり、アメリカの精神学者エドワード・デボノが後年唱えた、垂直思考の持ち主と水平思考の持ち主の共生による実り多いコラボレーションをいち早く実践していました。つまり、自動車だけでなく、企業内でも、一触即発の混合気がダイナミクスの前提になるというわけです。

余談ついでにあえて言わせていただくなら、ときには粘り強く、ときには不安にかられつつも常に自立を重視した創業者の精神性が、創業から125年を経た今もなおこの会社に息づいていると私は確信しています。

多角化と国際化:その大筋

ここでは会社の発展の足跡を駆け足でたどることにします。ボッシュは持ち前のスタミナで難度も逆境を乗り越え、同時にチャンスを確実にものにしつつ、多角化と国際化を推し進めてきました。

  • 事業の多様化はロバート・ボッシュにとって生涯の課題でしたが、その始まりは、「短命の花」に終わりかねないマグネトー式高圧点火装置に代わる自動車用技術製品を探すことでした。ことの起こりは、イグニションビジネスが受けた最初の重大な脅威です。今では考えられないことですが、脅威の原因はイグニションスイッチを必要としないディーゼルエンジンでした。そこで危険を感じた創業者は陣頭指揮し、新製品の開発に乗り出しました。その結果生まれたのが、1927年のMAN社製トラック、1936年のダイムラー社製の乗用車向けにディーゼル燃料を定量することのできる世界初の燃料噴射ポンプです。こうして、自動車用の最初の代替ドライブユニットが出来上がりました。マルガレーテ・ボッシュは父親に宛てた手紙の中でこのことに触れ、こう言いました。「お父さんは会社を2回興したわけですね。」 しかし、ロバート・ボッシュは自動車にばかり目を向けていたわけではありません。ハンマードリルを社内で開発し、Junkersのガス器具事業を買収したのです。それらはいずれも1920年代末の出来事ですが、ここで注目してほしいのは、創業者が当時の世界大恐慌にも臆することなく、新規事業分野の開拓に取り組んだことです。同様に、今回の世界的な危機に直面しても、私たちは会社の長期目標を一時的にせよ、取り下げるようなことはしませんでした。
  • この会社は、多角化する前から、国際化に足を踏み出しました。自動車はドイツで発明されましたが、市場の発展という点では他の国が先行しました。その1つが米国です。ロバート・ボッシュは第一次世界大戦前から米国の2カ所の工場でイグニッションシステムを製造し、ヨーロッパ全体を上回る規模の売上げを米国で得ていました。新しい技術製品を原動力に、ボッシュはそんな言葉が生まれる前からグローバル化に突き進んでいたわけです。それだけに、2回の世界大戦から受けた打撃もまた甚大でした。第二次大戦後、ボッシュはまず、当時世界経済の周辺に位置していた インド、ブラジル、オーストラリアなどの市場を開拓します。1990年代になって、世界経済に占めるアジアのウェートが増し始めたときに、私たちがいち早く現地の活動基盤を強化できたのもそうした経緯からです。日本と韓国では以前から重要な現地企業に資本参加していましたが、 今ではこれらの企業を過半数出資子会社化することに成功しています。また、中国はモータリゼーション推進のため、近代的な裾野産業を必要としています。私たちは長期にわたり、首相を含む現地関係者と交渉を重ねた末に中国進出を果たし、 短期間のうちに数多くの企業を設立しました。その多くが現地パートナーとの合弁企業です。今日、ボッシュのすべての事業部門が現地に拠点を擁し、中国経済とともに発展しています。では、20世紀初頭に早々と根を下ろしながら、歴史の流れの中で2回も商標権を失うことになってしまった米国はどうなったかと言えば、 ハンス・メルクレの時代にボッシュは米国市場復帰を果たしました。特に、気化器から燃料噴射方式への移行がもたらしたチャンスをバネに事業を伸ばすことに成功しました。今後もさまざまな分野における技術的優位を保ちつつ、国際的な成功への道を歩み続けていきたいと考えています。

技術革新:迷路のような道

話は技術革新に変わりますが、ここでは狭義のイノベーションに限定せず、 市場性のある発明について話すことにします。技術革新の歴史を振り返るとき、往々にして話が単純化されます。パイオニア的成果がリスト化され、さまざまな技術革新が直線的に相次いで成し遂げられたかのような印象を受けます。確かに、ボッシュの技術的新機軸は共通の分母から、すなわち私たちのコアコンピテンス(中核となるノウハウ)であるエレクトロニクスと精密機械技術から生まれてきました。1970年代半ば、第1次石油ショックの重圧の下でボッシュは自身最初のイノベーションポリシーを策定しました。目標は3Sプログラム、すなわちドライビングの安全、クリーン、経済性の向上です。これは創業者が唱えた、技術の進歩は「生活条件の改善」に寄与しなければならないとする考えを具体化したものです。その一方で私たちは、エコロジー重視の活動に早くからパイオニアとして取り組んできました。ともにボッシュのコーポレート・スローガンである「Invented for life」に沿ったものです。ところで、技術開発は、どんなプログラムを組んだとしても、迷路を手探りで進むような作業となってしまうことが少なくありません。その意味では、最近流行の体系的なイノベーションマネジメントがどこまで有効か、懐疑的にならざるをえません。

技術開発には文学作品の誕生と一脈通じるところがあるようです。最近私はヘルマン・ヘッセが書き残した文章にめぐり合い、思わずひざを叩きました。もちろん、ヘッセが技術について深い造詣を持っていたわけではありません。しかし彼が経験から獲得した知恵は、私たちにとって非常によく納得できるものでした。いわく、「探すことと見つけ出すことは別物であり、努めて探すことは発見にとって上策とはいえず、逆効果となる可能性がある。探すことから発見に至る道はまっすぐではなく、首尾を果たすには意志と分別だけでは十分といえない。耳を澄ませ、目を閉じ、待てること、注意力をあらゆるものに向けて全開することが必要である」

エレクトロニック・スタビリティ・コントロール(ESC)にしても、初めからそれを目指して生み出したというわけではありません。出発点は、よりシンプルで新しいアンチロック・ブレーキ・システム(ABS)の開発でした。その過程で、ヨーレートセンサを使えば横滑りを防げるのではないかというアイデアが出されたのです。ヨーレートセンサといえば、当時はロケット用しかなく、それを地上用にアレンジし直す必要がありました。今日のヨーレートセンサはマイクロメカニカルチップ化され、価格も当初に比べると2桁ほど下がり、今では同じ基本原理を応用したセンサがノートPCにまで取り入れられています。デスクからノートPCをうっかり落とした場合でも、PCが床に達するまでの一瞬のうちに、ハードディスクドライブ保護機能が作動するのです。

開発進化の歴史はまちまちですが、ライトモチーフは1つです。現状に甘んじることなく、すでに成功したものをより良くしたいという、持続した強い志がそれです。顧客からも私たちは再三にわたってさまざまな要請を受けてきました。今の私たちを支えている数多くのイノベーションは、顧客との実りあるコラボレーションから生まれたものです。そうしたパートナーシップの中にも、現状に決して満足してはならないという圧力が存在します。高圧が私たちの技術製品だけでなく、ビジネスにも作用しているのです。昔もそうでしたし、今もそうです。創業125年周年、これは確かに祝うに値することですが、125年の歴史は新たな成功を生み出すための刺激の宝庫でもあるのです。

新しい可能性を探し続ける:ボッシュの成功のレシピ

振り返ってみると、ボッシュ・グループには継続性があります。創業以来の125年間、会社を統率したトップはわずか6人です。まったく異例なだけでなく、それが会社に大きな利益をもたらしています。当社の歴代トップは、個人的見識と経験を通じて、製品、市場、技術トレンドを含め、細部に至るまでビジネスに精通していました。そして今日に至るまで、ロバート・ボッシュの後継者たちは、創業者が「短命の花」と呼んだ危険に対する警戒を怠らずにきました。逆説的な言い方をするなら、輝かしい過去へのそうした意識がボッシュの成功の重要なレシピになっているとも言えます。ともあれ、新しい事業分野、新しい市場、新しい技術を不断に求めてきた結果が今現在のボッシュなのです。ボッシュは将来も、新しい成長分野を探り当ててはテイクオフを繰り返すことでしょう。

ご静聴ありがとうございました。

ボッシュ・グループ概要 The Bosch Group at a Glance

ボッシュ・グループは、グローバル規模で革新のテクノロジーとサービスを提供するリーディング・カンパニーです。自動車機器テクノロジー、産業機器テクノロジー、消費財そして建築関連テクノロジーのセクターにおいての従業員数は28万人以上で、2010年度の売上高は約473億ユーロです。ボッシュ・グループは、ロバート・ボッシュGmbHおよびその子会社 350社超と、世界の60カ国以上にあるドイツ国外の現地法人で構成されています。販売、サービス代理店のネットワークを加えると、ボッシュは世界の約 150カ国で事業展開しています。この開発、製造、販売、サービスのグローバル・ネットワークが、私たちのさらなる成長の基盤です。ボッシュは2010年、研究開発費として38億ユーロを投資し、全世界で3,800件以上もの国際特許の基礎特許(第一国出願)を出願しています。
ボッシュはすべての製品とサービスにおいて革新的で有益なソリューションを提供することによって、人々の生活の質(Quality of Life)を向上させ、循環型の持続的環境社会(Sustainable society)の創出に寄与していきます。

ボッシュは2011年に記念となる創立125周年を迎えます。ボッシュの起源は、1886年に創業者ロバート・ボッシュ(1861~1942)がシュトゥットガルトに設立した「精密機械と電気技術作業場」に遡ります。ロバート・ボッシュGmbHの独自の株主構造は、ボッシュ・グループの財務上の独立性と企業としての自立性を保証するものです。「株主(利益配当)」と「経営(議決権)」が完全に分離した、この企業形態によって、ボッシュは長期的な視野に立った経営を行い、将来の成長を確保する重要な先行投資を積極的に行うことができるのです。
ロバート・ボッシュGmbHの株式の大半は非営利組織である公益法人「ロバート・ボッシュ財団」(持株比率92%、議決権なし)が保有しています。議決権の大半は、株主の事業機能実行機関である共同経営者会「ロバート・ボッシュ工業信託合資会社」(議決権93%)が保有しています。残りの株式と議決権は創業家であるボッシュ家(持株比率7%、議決権7%)とロバート・ボッシュGmbH(持株比率1%、議決権なし)が保有しています。

さらに詳しい情報は
www.bosch.com ボッシュ・グローバル・ウェブサイト(英文)
www.bosch-press.com ボッシュ・メディア・サービス(英文)および
www.125.bosch.com ボッシュ創業125周年記念サイト
を参照してください。


このプレスリリースは2011年5月19日に Robert Bosch GmbH より発行されました。原文をご覧ください。>